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硯水亭歳時記 Ⅱ千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた February 08 「針供養」と「こと始め」
まだに堅い我が家の櫻の蕾 (寒緋櫻の花芽)
「針供養」と「こと始め」
今日の東京は待ち遠しかったポカポカ陽気でした。久しぶりに大風も戸外に出て遊んだようです。 先日大胆に申し上げました櫻の予報でしたが、何と東伊豆・河津では河津櫻が満開を過ぎてしまったようです。 まだまだ寒い日が続いているというのに、寒暖の差が10度以上になると、櫻が勝手に反応してしまうのでしょう。 ところで今日は、「針供養」の日で、「こと始め」となっております。この両方は12月8日でもセットの行事となっており、 無論12月8日のほうは「こと納め」でありますが、農事の納めとなり、そして始めでもあり、お針さんの供養としても、 「こと始め」も「こと納め」も、「針供養」とセットになっているわけです。豪雪地帯では農事はまだではないかと、 多分仰られることでしょうが、何々雪の上に籾殻や焚き火の灰(地の養分)などを蒔いて、少しでも早く融雪するように行われています。 また林檎農家など果樹園でも、最も大切な剪定作業が御座います。徐々に農事が始まっているのです。 多くのお針の場合も、今日から正式な仕事始めとなり、各所の寺社仏閣では、お針さんのご供養が営まれます。 一つの区切りとなる古来からの素敵な民間信仰でありましょうが、 今や、その意味が風前の灯になっているかも知れませぬ。淋しい限りです。 私たち、林業に関わる者は、「こと納め」から「こと始め」の時季が、一番の繁忙期です。 四国・新居浜の明正寺櫻が、花開くまでは。
ところで我が娘・杏には、ちっこいヴァイオリンやミニ・ピアノや、絵本などを買い与えています。 興味津々で見るものだから、買ってあげる甲斐があるというものでしょう。 絵本など、杏の遊び場には国内発行もそうですが、海外発行の絵本もたくさんあります。絵の具も置いてあり、偶に描いていますが、 親がやれることはそんな程度で、妻が普段殆ど勉強に専念している事情でもお分かりの通り、ああしろこうしろとは一切言わない主義、 本人の意志を最も重んじています。将来ああして欲しいとか、こうなれとか、娘にも息子にも全く言うつもりはありません。 先日放映された「崖の上のポニョ」を、杏がどう見るか、私たち夫婦とも興味深かったのですが、 何と何と全く気に入らないようで、たった10分でさっさと眠ってしまいました。 ピーター・ラビットやムーミンなどのほうが結構好きなようで、原語の絵本で買ってありますから、 杏からせがまれると、時々原文で読んで聞かせます。 英語本が多いのですが、僕が話せない言語は一旦発音を確認してから読むことに。杏が結構目を輝かせているので、 少しはカタコトで簡単な英語めいた発音をします。ヴァイオリンのほうも時々ギコギコしていますから、本人の意志があれば、 満三歳になったら、どこかのスクールにでも入れようかとも考えています。親の仕事はそんな程度です。 まだまだ発音が不十分ながら、既にキラリとした個性を持っているようで、どちらかと言うと妻似で音楽好きのほうかも。 一番熱心に観るテレビは毎日、朝早くに放映している「毎日モーツアルト」(無論 録画)、 絵本もそうですが、思い出したように日々熱心に観ています。親は子に自身の判断材料を与えるしかありません。 さて大風のほうは、ヨチヨチ歩きをするようになったら、どんな反応をするのでしょう。楽しみでなりません。 ただ見っともない親馬鹿チャンリンにだけは、絶対になりたくありませぬ。
邸内の生垣・藪椿 けなげに咲いておりまする
今日のBGMは 若くして逝った歌人・笹井宏之作曲の『生命の回顧』 February 06 初の絵本創りと小千谷縮と
亡き主人の絵と文章で創った絵本・『佛には櫻の花をたてまつれ」の絵本の展示
初の絵本創りと小千谷縮と
亡き母の絵本の先生から所望され、亡き主人の絵と、遺された手書きの文章を何とかPCに取り込んで貼り付けし、 絵本作りを致しました。手作りの絵本です。私もボチボチ絵など描きたいものですが、設計図ならいくらでも描いたことがあるのに、 主人の絵のようなわけにはいかないようです。お誘いを兼ねて前職会社のCEOにご報告し、今回二人で一緒に展示会を見にゆました。 さすがに弟君さまのCEOは、感慨深げに見入っていらっしゃいました。目立つことをするなと常日頃の、故人からのご薫陶があったので、 お叱りを受けるのではないかと申し上げましたら、兄のそういう部分が特に強調されていたので、とてもよかったと、涙ぐんでのご感想でした。 私はほっとして致しました。学生風の人やら、絵本好きの方々まで、大勢の方々が直接手に取ってご熱心にご覧になられ、 丁寧に見ていらっしゃったご様子にも、すっかり安堵致しました。
冬休みに、イクメンしながら必死になって創った甲斐があったというものです。素晴らしいチャンスをくれた先生!有難う御座いました。
今、関東地方に大寒波がどっかりと座り込んでいて、最低気温は零下で冷え切っています。 新潟では26年ぶりとなる深い降雪があったとか、日本海沿岸部の雪国の皆さまには心からお見舞い申し上げます。 こんな時季に申し上げるのは酷なことでありましょうが、妻が大好きな和服は、これも父から与えられた真っ白な小千谷縮です。 吸湿力と発散作用に優れていますから、基本的には春・夏用なのですが、 今時分になりますと、妻は急にソワソワし出します。春待ち人になり、早くアレを着たいなぁと漏らすのです。 この小千谷縮には「寒晒し」という季語になっているぐらいの、雪上で布を晒し、雪から発生するオゾンで麻を漂白する技術があります。 原料は苧麻(ちょま=からむし~イラクサ科の多年草 茎から取り出す繊維)で作られますが、加工そのものも凄いエコな和服で、 原料から仕上げまで、一切化学的な要素がないのです。雪上晒しをすると発色も大変よくなるようです。 天然・自然の素材に拘る妻と、大自然を愛する父との呼応で求められたものです。妻は真っ直ぐ前だけを向いて歩きます。 可笑しいぐらいなのですが、京都の実家付近では有名な話です。でも大都会・東京では特別に見られることがありません。 だから京都より居心地がよいのでしょう。京都はやっぱり地方都市だとか、妻が言うのですから本当かも知れません。 今朝も真っ直ぐ前だけを見て、自分の勉強部屋に行きました。今、それこそラストスパートで、必死になって論文を書いているようです。
まぁこの冬の雪害の大きさに比して、雪の話題は自重すべきことですが、日本海の方々にも、是非何処かに春の息吹を感じ賜りたくて。
会場に飾られた手作りのお雛さまの数々 我が家でもそろそろ雛飾りを致しましょう
February 04 立春大吉 春の淡雪 小鳥たちの囀(さえず)り
杏の雪だるま いつも野遊びをする場所で 溶けずに 毎日これを見る杏 よほどうれしかったのだろう
立春大吉 春の淡雪 小鳥たちの囀り
このところ櫻の補植事業で職員が皆散らばって、懸命に作業しています。新しい苗木を植えるのは、今しかありません。 枯れた櫻を撤去して、同じ場所に植える場合は全部掘り起して土質改良をしなければならず、それは晩秋から始めていたのですが、 今この時を得て、各地の櫻の名所の救済に頑張っているところです。染井吉野は我が苗場には一本もありませんので、 接木などの面倒なことはないのですが、新種の櫻を創る場合でも接木の手法は一切行っておりません。 で、各地の人気は、山櫻ではなく、江戸彼岸か小彼岸が圧倒的に多いようですが、里櫻もお薦めなのですけれど、 徐々にご理解が浸透して行けば、きっとこれからはそれらも出荷出来ることでしょう。
ところで先日降った雪の折、安行の現地スタッフは二人ですから、 残った十人ほどの職員(出張中以外の職員)が現地に駆けつけ、出荷間近で、裸同然の苗木を急遽保護したところでした。 雪が降る気配は、手足の先端が冷え冷えとしてくるから必ず分かりますが、2月1日の夜半もそうなりました。 雪になるなぁと思っていたら、朝起きてびっくり、予想通りでした。今朝も津々と冷え込みました。 苗場の安行でも今朝は、千葉や埼玉や群馬へも降雪があったようです。辺り一面真っ白になったと。
当家の盆栽たちは皆元気です。主人(父)が帰って来るのを楽しみに待っているかのようです。 先月26日から石鎚山にアタックし、しばらく連絡がなかったので心配していましたが、 あの雪の夜に下山したと、自宅に報告があってほっと致しました。 山のお仲間と、松山や内子や宇和島などを散策して、明日には帰るとのことでした。どういう訳か父は冬山登山が大好きで、 こちらはハラハラするのですが、冬山の魅力は登った者でないと分からないよと、ただ笑うばかりです。 一歩一歩カンジキを履いて頑張ったことでしょう。もう80歳をとっくに越したのに、元気です。 太股や背中に、まだまだオトコの色気を感じられる父です。頼もしいです。
我が家の、淡雪の庭と盆栽たち
我が家の盆栽たちも、小さな庭も春の淡雪の後、幸い盆栽には雪囲いのテントがありましたから無事でした。今朝も気づいたのですが、 日増しに小鳥の囀りが大きくなって煩くなっています。生命の鼓動が聞こえて参ります。躍動するまではもう少しの時間が必要でしょう。 今日は立春。方角の神さまである猿田彦さまが一切お邪魔をしない日で、古来から行われていた「方違え(かたたがえ)」の必要がないことから、 方角の悪いほうへの引越しはこの日に限るとされ、よくこの日一日で引越しを敢行されたようです。夕べは、普段大人しい杏がおおはしゃぎ! 僕が鬼役で奮闘したのでしたが、まさか妻までが真剣になって投げつけるとは、可笑しかったです。玄関のところに、柊に刺したイワシ飾りを魔除けとし、 西南西の恵方に向かっての恵方巻きを食べませんでした。何やら商業的な臭みがあり好きではないからです。 当家ではお餅入りの小豆粥(菜花入り餡かけ)を頂きました。お祝い膳にして蛤の清まし汁も。 米沢産の雪菜の浅漬けと、丸々太った浅葱と烏賊の酢味噌和えでしたが、最近は杏は何でも口にして元気いっぱいです。 大風は既に離乳食が始まっており、杏の時にも、最も活躍したのがターシャ・テューダーの料理リシピでした。 「赤毛のアン」に出て来るお料理も、杏が大好きです。でも僕はラズベリー・ジュースをワインと間違えることのないようにしないといけませんね。 大親友のダイアナと絶好状態になってしまうようなアンは嫌ですから。気をつけます。 お陰さまで大風ほうは、標準体重や標準身長より遥かに超えており、ほっぺを真っ赤にして元気いっぱいです。 両足をグングンさせ、今にもハイハイ出来そうです。大泣きはしなくなり、オトコらしく着実に成長しています。
沖縄では櫻祭りが最中ですが、沖縄に咲く寒緋櫻は山の上から咲き出しますから面白いですね。 又先日NHKのニュースで、鎌倉の鶴が丘八幡宮の「河津櫻」が満開という報道でしたが、 あれは完全な寒緋櫻で、誤報でした。正確に伝えるべきでしょう。 気象庁では今年から櫻の開花予想を出さなくなりました。 民間の天候に関する業者がたくさんいるからでもありましょうが、それだけ予報が難しくなっているのでしょう。 河津櫻は二月十二日から、東京の櫻は三月二十日と、櫻の開花を、僕はそう予想しています。 この繁忙期から開放されれば、愈々櫻の季節でありましょう。 皆様におかれましては、まだまだお寒い折ですから、どうぞお身体にはご用心なさって下さりませ。
柳の下から観た夕景色 夜ともなると まだ肌を刺すような寒さです
February 03 節分と鬼やらい、『立春大吉』
石清水八満宮の鬼やらい 桃弓で四方へ矢を射る 辟邪の大切な儀式である
節分と鬼やらい、 『立春大吉』
雪が降った。僅かでも降れば真っ白い世界になり、改まった気分になれるものである。娘・杏は初雪を理解し難い様子、目を白黒させて見ていた。 今朝も残雪ありて、そして迎える今日の節分も日本人の信仰の、大事な一つなのである。古来の日本人はマタギの口伝にも表現されているように、 大自然の一部分を頂いて山神への感謝を忘れずに生きてきたのである。海にも同様の信仰があった。山海の神々とともにあったのである。 無論、農耕の神である稲魂(いなだま)さまの祭儀は最も重く尊く、神嘗祭や新嘗祭に表現されているだろう。 縄文の時代、青森の三内丸山遺跡でも如実な通り、古来から豊かな自然と人とが、共に饗応する文化があったのである。 かくして節分は年に四度あり、春分、夏至、秋分、冬至の、各季節を区切る節気の前日が節分なのである。 このうちで、一年の区切りとなる春分の前日が特に重要視され、ただ節分と言えば、これを指すようになった。 処で節分とはいつの時季なのだろうか。今では二月の初めということなっているが、旧暦で言うと十二月もしくは一月の時季に当たる。 ちなみに今年(2010年)で言うと、節分は新暦で二月三日、旧暦では十二月二十日になる。 春の始まりを告げる春分(立春大吉)はその翌日であるから、旧正月はまさに春になっての初の月であった。 日本人は年や季節など節目のたびごとに、他界(=彼岸)と交流する「お祭り」をする。 それは同時に魂の再生と、それを更新する儀式でもある。そしてその節目の前には祓いを行う。祓いとはケガレを流すことである。 これをしなければ魂が失われてしまうからだ。つまりは死んでしまう意味だ。祓いをして、さらに生命の更新・補給などの作業をする。 これは祭りの一側面である。他界から来る神や祖霊が新たなる新鮮な生命の息吹きを運んできてくれる。 「祭りと祓い」は、官民で違いもあり多種多様であったが、また、官民で相互に伝播し合ったものもあるし、 次第に統合され失われたものもある。 その中で「正月と大晦日」が代表的なセットであることは言うまでもない。 節分は春分とセットであるのだが、春分の具体的な祭りの方は、「正月」の祭りに吸収されてしまったようだ。 しかし節分の方は、大晦日の祓いとダブりながらも、今でも盛んに行われているのである。 こういう信仰をもつ日本に、中国から「追儺」(ついな 「鬼儺」=鬼やらい)がもたらされた。 これは陰陽五行(道教=日本では陰陽道という)に基づく厄払いの儀式である。中国の鬼は異界の妖怪であるけれど、 日本の鬼はもとはカミ(湯立て神楽にある通り)である。疲弊しケガレた神である。 そこに日本のケガレを流す祓いが結びついたと考えられる。 ケガレた神である鬼に、ケガレを持って帰ってもらうのである。 追儺はもとは宮中の行事で、大祓いの一環として大晦日に行われていた。 方相氏(ほうそうし)という祓い役が、矛と盾をもって「鬼やらい」と唱えながら、鬼役を内裏の四門に追い回し退散させる。 また殿上人は、桃の弓に茨(または葦)の矢を手につがえて鬼を射たものだった。 そして、宮門に大寒から置いてあった土牛と童子人形を、正月(立春)の夜の到来とともに取り去ってしまう。 追儺は陰陽五行、つまりは道教(日本に入ってから陰陽道)に深く色取られている。 土牛とは十二支の「丑」(十二月、冬)の象徴で、 これを取り去るとは、次の「寅」(正月、春)に季節の座を譲ることを意味する。 また、童子とは「丑寅」(艮・うしとら 十二月の後半。方角では北東)で、かつ「土」気の象徴なのである。 「丑寅」は「寅」の直前であり、これを取り去ることは冬の終わりから春の到来を告げるものである。 つまり「土」気から、「寅」の「木」=気への移行を意味する。同時に、「丑寅」は「鬼門」であり、まさにここから鬼がやって来るのだが、 鬼を追いやる所でもあるわけである。それから桃については、中国では古くから、 桃には辟邪(へきじゃ=邪悪を追いやること)の力があると考えられていた。 この思想の到来は早く、イザナキが黄泉の比良坂でイザナミから逃れた時に桃が使われている。 これが不思議なことに、いつの間にか「豆」に取って代わってしまったのだ。 「豆」も又辟邪のものと、私たちの先祖が感得したに違いない。
こうして「寅」(正月)の水際で、ケガレを祓ったが、鬼門とは、鬼とともにケガレが棲む所と合いなってしまった。 追儺の移入はあくまで外人助っ人的である。あたかも仏が外来の強力な神であったように、 祓いのために世界最新の強力な呪法として呼び込まれたものだった。 また、それを必要とする新たなケガレの脅威があった。疫病である。病むは「止む」であり、ケが止むことでもある。 魂(生命)を奪うケガレの一つであった。今の節分のスタイルは、節分の日に、家人が「鬼は外、福は内」と唱えながら豆をまくが、 これは京では平安時代から始まったとされている。しかし全国化するのは他の民俗と同様、室町時代ごろからだろう。 室町時代というのは日本精神史の中の一大転換期でもあるからだ。 それは、平安・鎌倉時代までの京文化が最終的に倒壊した時期でもあり、 それまでの宮中行事の作法や伝承されてきた京文化が流出した時期でもあった。節分の日の豆まきとしての追儺も、 こうして陰陽道の知識とともに、世に広まった思われる。陰陽五行が日本全国に流布するにつれ、これに基づく迎春行事が盛んになってゆく。 迎春行事というのは、春である「寅」の「木」気を扶ける呪術でもある。そのために「木」気を食う「金」気を、 「火」気によって追いやるという戦略が採られた。凧上げや羽根突きもこうした行事のひとつであった。
豆まきでの豆は、陰陽五行で言う「金」気なのである。これを炒ることにこそ意味がある。 「火剋金」と言うのだが、「金」を「火」で撃ったのだ。更に、その豆を外にまいて追い出す行為をする。 すると「木」が活き、春という季節が充満するのである。このような迎春呪術として、近世以降の豆まきが成り立っている。 豆まきの豆を食べるようになるのも、この「金」を砕くという考えの延長にあるのではないだろうかと思われているが、 しかしその深層には、陰陽五行以前のケガレ祓えが実はひそんでいるのである。 豆にはケガレを付けて、鬼に投げるというのがまさに本義なのである。 同時に、豆まきは年占(としうら)でもあった。年占というのは一年の天候や吉凶の占いである。 この上を陰陽五行思想が被っているのである。そのような歴史と伝承と信仰を背負って、私たちは豆まきをしていたのである。
日本人は、欧米流儀の「宗教」しか宗教ではないと信じ込んでいる。 そうではない。意味もわからずに民俗行事を続けていること、そのようにしていまも保持されている聖俗秩序観こそ日本人の信仰なのであり、 そういう意味で豆まきを続けているような日本人は、みな立派な宗教人なのである。 古今、洋の東西を問わず、人間には「俗」とともに、「聖」が必要であった。自意識、すなわち「精神」の誕生は、 必然的に、「この世」ならぬ世界を見出さざるを得ない。目に見える世界と目に見えぬ世界を含めての一つの「世界」なのである。 「聖」なる領域、それは人間の精神生活の底辺にある。合理主義だけの生活は人間の生活では成り立たない。 ケガレを祓って新たになる、そうした精神文化こそ日本人の本質ではなかろうか。
新たなる今年の暦もまた立春大吉の日(四日)から始まる。 今年の運勢はどうかと言う正月占いの「気」は、この日一日だけ方角が誰にとっても悪い方角が一切なく、自由に移動可能な春の一日である。 運気の悪い人は今年は基本に立ち返れと言う意味である。また良い運気の人でも調子に乗ってはならないと言う意味であろう。 良いも悪いも、節分が終わって『立春大吉』の日から新しく運気が始まるのである。 四文字熟語の中で、『立春大吉』は私が最も好きな言葉である。魂の底からあらたまれるからである。 現代の節分にこそ、古代日本人が自然とともに再生を祈ったように、季節の重要な民間行事として残り、大好きな祭りである。
本日行われる「東大寺 二月堂の豆まき」 公開される「星曼荼羅」
January 31 追悼 サリンジャー
追悼 サリンジャー
僕の母は、僕がまだ年端もいかないうちに亡くなった。 そんな時、洋書で読んだ最初の本は、サリンジャーの「If a body catch a body comin' through the rye」だった。 英語には相当自信があった僕だが、訳すのにメッチャ苦労して、でも何とかかんとか読了した。 ブロークンな表現、汚い言葉や、猥雑な場所。それらで散々苦労した。でも読み進めて行くうちにグイと引きこまれるようになっていた。 何故だったのだろう。落ちこぼれの僕の君が、さすらいながら、ライ麦畑で遊んでいる子供たちが崖から落ちる時、 どうにかして助けてやれる僕でありたかったのだ。真実、当時哀しみにくれていた僕を、間違いなく助けてくれたもの。 それから僕はキッチンに立った。僕は忙しい父に反抗するかのように、父に、母がやっていた通り弁当を持たせた。 心の中で、どんなにザマァ見ろと思ったことだろうか。独り反抗期、独り自立、独り煩悶の日々だった。 そんな時に助けてくれたのが、このサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」だったような気がする。確かに力を貰った。 何とこの本は日本が終戦を迎えた年に出版されている。後のベトナム戦争で、ヒッピーが溢れるほど生まれたが、 当時のアメリカでは同様の厭戦気分があったのか、どこか反体制的であり、モラリストには遠い存在の禁書となっているのだろう。 享年91歳、40年間ただ一冊の新著も発表しなかったサリンジャー。でもこの間もきっと書き続けていたのだと信じていたい。 この1月27日、ご逝去。ご自宅をグルリと取り囲む2m余りの高い塀の中で、40年間、サリンジャーはどう生きていたのだろうか。
今月17日に亡くなった小林繁も残念だった、僅か57歳。彼がジャイアンツのエースだった時、サリンジャーと出会い、僕は中学生であった。 タイガースに黙って耐え、移籍した後、対ジャイアンツ戦に8連勝していたが、僕にとっては痛快なことだった。昨年黄桜のコマーシャルで、 江川卓と初めて二人は出会い共演したが、僕は、あのコマーシャルをどんなに興味深く見たことだろう。氷解なんてあるものかと。 ご法名は「球愛院釋静繁」。さりげなく奥さまの名の静と彼の名の繁が入っているのがとても素敵。如何に野球を愛していたのだろう。
去年の『櫻忌』からお仲間に入って戴いた歌人・笹井宏之は、今月24日で一周忌を迎えた。早いものである。 重病を抱えていたとは言え、たった26年のイノチであった。最期は風邪をこじらせて心臓麻痺で逝ったのだが、日を増すにつれ、 彼のケータイ短歌が、キラキラと輝き出す。たった一冊の出版である歌集・『ひとさらい』が、僕の手許で輝いて見える。 彼のブログは今も父・孝司さんによって更新されている。ブログ名・『些細』、今もいつでもここで彼に逢えるような気がして嬉しい。 父君や友人の方々で、一周忌コンサートが行われたようだが、笹井宏之も作曲をしていたから、ごく自然だ。 そうしてイノチがつながって行くのだろうと思え、「この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい」、 笹井の、こうしたピュアな、あふれ出るような歌の数々が途方もなく深淵に広がって行くような気がする。 安易に天才などと呼びたくないが、笹井の歌は日ごとに、僕の心の中で大きくなって行くのも事実だ。
正月を迎えたばかりでも、早1月が終わろうとしている。歳月の歯車は人を待ってくれやしない。 一月は喜びの月で寿ぎの日々であるが、存外哀しみに満ちる月であるのかも知れない。 元旦も昨夜も、さらさらとした満月であった。
ピアノを弾く笹井宏之 (彼のブログ『些細』より貼り付け)
今日のBGMは笹井宏之作曲から『櫻』 笹井宏之楽曲集「SASA-Note」よりお借り致しました
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